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三線の響き:大阪で出会った沖縄の心
19 December 2025 | By 金馨怡 | SISU

先月、学校が主催する二日三泊のホームステイに参加した。この期間中、私はホームステイ家族の一員として、彼らの週末を共に過ごす。日曜日の午後、ホストファミリーのお父さんが、友人がコンサートで演奏するので一緒に観に行かないかと誘ってくれた。しとしとと降る雨の中、ホストファミリーの皆さんとともに大阪府岸和田市にある浪切ホールへ向かい、未だ見たことのない音楽の旅が始った。
この公演のテーマは「島美しゃ 唄美しゃ 三線発表会」で、四年に一度開催され、今回で5回目を迎えた。舞台上で演奏されていたのは、日本本土でよく知られる津軽三味線ではなく、胴がより丸みを帯び、音色がより深みと厚みのある沖縄の三線であった。演奏者は単に楽器を弾くだけではなく、三線を抱え、口を開いて歌い、旋律と歌声が絡み合い、ホール中に長く響き渡っていた。この形式こそが、沖縄独特の「唄三線」である。大阪で二十余年続くこの集いは、ひとつの文化的な孤島のように、あの青い海原で息づく芸術の生命力を映し返しているようであった。
三線の起源は中国と強く関係しています。その直接の起源は、中国の伝統楽器「三弦」であると考えられる。歴史的には、主に中国(特に福建省)と琉球王国(現在の沖縄)との交流を通じて伝わった。その中でも、明代の洪武年間に琉球に下賜された「閩人三十六姓」と呼ばれる移民集団が、重要な伝播の役割を果たしたとされる。これらの移民は中国のさまざまな文化や技術を琉球にもたらし、三弦もその一つであった。このような経緯から、三線は当初、普通の民間楽器ではなく、士族階級の教養や宮廷の儀礼と結びついた、高雅な象徴とされていた。琉球に伝わった三弦は次第に本土化し、独特の「唄三線」という芸術形式と「三線」という楽器の様式を形成した。「唄三線」の核心的な特徴は自弾自唱であり、演奏者が同時に旋律の弾奏と歌唱を担当する。これは、主に伴奏楽器として用いられる日本本土の三味線とは異なる点である。その音楽は大きく二つに分類される。一つは琉球王国時代に起源を持ち、宮廷儀礼に用いられた荘重で典雅な「古典音楽」で、もう一つは民間に根ざし、庶民の日々の喜びや悲しみを抒情的に歌う素朴で情感深い「民謡」である。楽器の形状の面でも中国の三弦との違いがあり、例えば、胴(琴筒)には伝統的に沖縄産の蛇皮が張られている。
三線芸術は沖縄において、いくつかの重要な歴史的段階を経て発展してきた。19世紀末に琉球王国が廃止されると、多くの宮廷楽師が民間に流れ、結果的にこの芸術の広範な層への普及を促した。20世紀半ばに発生した沖縄戦は、当地に大きな傷跡を残した。戦後の困難な時期には、米軍が残していった物資を利用して作られた「空罐三線」が出現した。この現象は、三線が民衆の精神的支えとして果たした重要性を説明する際に、今もよく引き合いに出される。この歴史は、三線と沖縄社会の運命との結びつきを強めるものとなった。
戦後から現在に至るまで、三線は沖縄において、そして日本全国で広く普及し、発展を続けてきた。専門の「三線教室」や民間の研究所が都市や農村に設立され、子供から高齢者までが三線の弾き語りを学べるようになっている。伝統的な継承に加え、三線は様々な流行音楽や現代的な公演でも活躍の場を広げている。同時に、その起源に関する学術的研究も重視されるようになり、例えば中国の福建師範大学が「琉球学」を重点学科に指定していることなどは、学界がこの文化交流の歴史を継続的に注目していることの表れである。
したがって、中国福建省から琉球に伝わった三弦は、その地で本土化して沖縄の三線となり、近現代史の中で沖縄の人々の運命と緊密に結びつき、最終的にはその核心的な文化的アイコンへと発展した。大阪で開催されたこの発表会は、まさにこの芸術の生命力の一端を映す縮図である。それは沖縄の文化的財産であると同時に、中日文化交流史の生きた証でもある。
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