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平安時代『枕草子』の誕生秘話 ――女房清少納言と中宮定子の絆――


21 October 2025 | By 孙艺小琳 | SISU

清少納言は平安時代の『枕草子』の作者で、本名は不明です。和歌の名門である清原家に生まれ、「清」の字は「清原」からとったものとし、それに「少納言」という職名がつけられています。『枕草子』が書かれた当時は、天皇や貴族を中心とした平安文化の最盛期で、宮廷には教養ある知識人が集まっています。こうした中、清少納言が注目されたのは30歳ごろ、天皇の妻、中宮定子の女房として宮仕えを始めたことがきっかけでした。

清少納言と定子が互いを信頼しあう様子は「枕草子」に記されています。ある日、清少納言は自らの恋愛観をこう語りました。

「もし誰かに愛されるとしたら、私は一番じゃないといや。二番や三番なら 死んだ方がまし!」

それを聞いた定子は「私の一番好きなのは、あなたじゃなかったらどうするの?」と問いかけます。

清少納言は遠慮がちに答えます。「いえ、一番じゃなくて、下の方でもかまいません」

すると、定子は「意気地なしね。一番好きな人に一番思ってほしいって、胸を張って言いなさいよ」と言いました。

これはお互いを一番思いあう二人の強い絆が伝わるエピソードです。『枕草子』における日記的章段はこのような定子のサロンの最盛期における宮廷の日常生活を記しています。定子との出会いがなければ、『枕草子』は書かれなかったとも言えます。

だが、朝廷の最高権力者だった関白藤原道隆、つまり定子の父が病死すると、定子の父をライバル視していた藤原道長が次の権力者へ名乗りを上げました。道長の一族はライバルを追い落とそうと、様々な陰謀を画策し、定子の兄たちは謀反の罪に問われ、都を追放されてしまいます。こうした中、清少納言と恋仲になった貴族が道長の側近だったので、彼女が定子たちを陥れたスパイだという噂が流れていました。というわけで、清少納言は定子のもとを離れ、 実家に引きこもるようになります。

天皇の寵愛と清少納言との付き合いを失った定子は次第に宮中で孤立していき、実家にいる清少納言は定子に心配しました。そんな折り、清少納言のもとへ包みが届きました。中に入っていたのは真っ白な紙であり、文章を書くのが好きな清少納言を元気づけようとする定子の心遣いでした。感激した清少納言はその紙に定子と宮中で過ごした楽しい日々の思い出を書き始めました。辛い毎日を送る定子にこれを読んでもらい、少しでも明るい気持ちになってほしいという思いでつづられていったのがのちの「枕草子」だったのです。

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