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漢文訓読:日本人が中国古典を「日本語化」する千年の技術


01 July 2025 | By 郑卓 | SISU

京都大学附属図書館の古文書庫で、江戸時代の『論語』抄本を広げると、墨跡だけでなく「一二」「上中下」といった記号や、漢字の傍に小さく「を」「に」「は」が書き込まれた箇所が目に留まる。これは単なる注釈ではない。日本人が中国の古典を読み解くために考案した「漢文訓読」の暗号なのだ。中国の漢文は元々日本語とは異なる語順や文法で書かれていた。それをどうやって日本語の流儀に合わせて読むようにしたのか。この「漢文を日本語に変換する技術」の歴史を辿ってみよう。

一、漢籍東漸:無標点の漢文と日本語の出会い

漢文訓読の起源は、漢籍が日本に大量に伝わった奈良時代(710-794)に遡る。当時の日本貴族は『論語』『史記』を熱心に学んだが、すぐに壁にぶつかった。中国の古典は句読点がなく、語順は「主語・述語・目的語」(例:「子曰学而時習之」)で、日本語は「主語・目的語・述語」(「先生は学びて時に之を習ふ」)の構造だった。さらに、漢文は「之乎者也」などの虚詞で論理関係を補い、日本語は「は」「が」(主語)「を」(目的語)「に」(時間・場所)といった助詞や動詞の活用形(「習ふ→習ひて→習ふ」)で文脈を明確にする。

例えば『詩経·関雎』の冒頭「関関雎鳩 在河之洲」。漢文では「雎鳩が関関と鳴き、河の洲にいる」という意味だが、日本語では「雎鳩は(主語)河の洲に(場所)関関と鳴く(述語)」と明確にしないと理解できない。直接漢文を読むと、「誰が鳴いているの?どこで?」という疑問が残る。こうしたギャップを埋めるため、日本人は漢文に「手を加える」技術を編み出した。それが漢文訓読である。

二、訓読の「手術道具」:返点・送仮名・語順の魔術

漢文訓読の核心は二つの道具:「返点(ほんてん)」と「送仮名(そうかな)」だ。

「返点」は漢文の読み順を指示する記号で、まるで文章を「再排版」するような役割を果たす。最も基本的なのは「一二点(・)」と「上中下点(丶丶丶)」だ。例えば『論語』の「学而時習之」は、漢文の順序では「学ぶ→そして→時々→練習する→それを」だが、日本語では「我は(主語)学びて(述語)時に(副詞)之を(目的語)練習する(補完動詞)」という流れに調整する必要がある。訓読する際は「学」の前に「一」、「時」の前に「二」、「習」の前に「三」を打ち、「一→二→三」の順に読むことで、強引に語順を日本語に合わせるのだ。

「送仮名」は文法を補完する「糊」のような存在だ。日本語の動詞は「ます形」「て形」「た形」に活用し、形容詞は「~い」「~な」で終わるが、漢文にはこれらの形がない。そこで訓読では漢字の傍に直接送仮名を付け、文法を明確にする。例えば「春」が主語なら「春が」、目的語なら「花を」、動詞「咲く」なら「咲きて」(て形で中頓)と補う。

さらに「熟字訓」という高度なテクニックもある。複数の漢字が一つの日本語固有語を表す場合、全体に特殊な読み方を割り当てるのだ。例えば漢文の「今日」は本来「けふ」(音読み)だが、日本語では「きょう」と読み、「今日は」のように「は」を付けて話題主語にする。こうした「漢字の組み合わせごとに日本語の発音・文法を当てはめる」操作により、中国の古典は完全に日本語の流儀に染まったのだ。

三、技術から芸術へ:訓読の審美的な側面

漢文訓読は単なる「翻訳技術」ではなく、平安時代(794-1185)には貴族文人の間で芸術的な表現として昇華した。返点の打ち方や送仮名の選択には、審美的な配慮が込められていた。

例えば王維の唐詩「行到水窮処」を訓読する場合、漢文の「行く→至る→水の窮まり処」ではなく、「行きて(行って)水の窮まり処に至る(いたる)」と処理する。ここで「て形」を付けることで動作の連続性を明確にし、「に至る」で「到達点」を強調することで、詩の情景が日本語でも鮮やかに蘇る。江戸時代の儒学者荻生徂徠は「漢文は直読し、和文は意訳する」と提唱し、原典の精神を保ちつつ日本語読者が「母語のように自然」に感じられることを目指した。この考え方は現在にも受け継がれており、日本の中学校の国語の授業では、『史記·項羽本紀』を教える際にも、生徒に返点を打たせ、送仮名を付けさせることで、二千年前の楚漢戦争の物語を日本語の文法の中で蘇らせている。

四、訓読の余韻:中国古典が日本の「第二の母語」に

現在、漢文訓読は日本の文化の血に染み込んでいる。京都の老茶人が『論語』を読むとき、自然と返点で区切る。早稲田大学の漢学者が李白の詩を講じるとき、送仮名の付け方は中国人よりもこだわりがある。さらにアニメ『孔子』では、キャラクターが「学而時習之」と唱える際、セリフカードには「一」「二」「三」の返点が書かれている。

これは単なる「文字移植」ではない。両文明がそれぞれのやり方で共同で書いた文化的なラブレターなのだ。日本人は返点で漢文に新たな区切りをつけ、送仮名で古典に文法を補い、本質的に「中国の古典は離れていない。ただ日本語の『皮膚』を纏って、人類共通の知恵を語り続けている」と宣言しているのだ。

江戸時代の『論語』抄本を閉じると、返点と送仮名の墨跡は今も鮮やかだ。これら「改変された」漢文は、もはや単なる文字の移転ではなく、二つの文明が互いのやり方で紡ぎ上げた文化的な物語なのだ。

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