マスコミ対応

SISU News Center, Office of Communications and Public Affairs

Tel : +86 (21) 3537 2378

Email : news@shisu.edu.cn

Address :550 Dalian Road (W), Shanghai 200083, China

関連情報

日本の僧侶とお酒、肉、結婚の不思議な関係


31 May 2024 | By 董冠麟 | SISU

「僧侶」と聞くと、厳格な戒律を守り、清らかな生活を送る姿を思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、日本のお坊さんには「お酒を飲む」「お肉を食べる」「結婚する」ことを認められている人もいます。これは仏教の原則からすると驚きの事実です。では、どうして日本の僧侶はこうした自由を許されているのでしょうか?

仏教はもともとインドで誕生しました。初期仏教では、厳しい戒律があり、僧侶は「五戒」や「比丘戒」と呼ばれる教えを守らなければなりませんでした。その中でも特に重要視されたのが、「不殺生(殺してはならない)」「不飲酒(酒を飲んではならない)」「不淫欲(結婚を含む性行為をしてはならない)」という三つの戒律です。

中国や韓国に伝わった仏教も、このインドの伝統を受け継いでいました。そして日本に伝来した当初の仏教もまた、戒律を重んじていました。しかし、時代が進むにつれて、この厳格な戒律は日本の文化や社会に合わせて柔軟に解釈されるようになります。

日本のお坊さんがなぜお酒やお肉を口にするようになったのか、その背景には日本独自の文化と地理的な要因が関わっています。

日本は四方を海に囲まれた島国で、魚介類が食文化の中心でした。仏教の戒律における「不殺生」は、基本的に動物の命を奪わないことを意味しますが、日本では魚をその範疇に含めない風潮がありました。そのため、僧侶が魚を食べることは、それほど問題視されませんでした。

日本では農村が多く、寒い地域や山間部では、厳しい気候の中で働くためにお肉を食べる習慣がありました。僧侶もこうした地域社会の一員として、生活に必要な栄養を取るために肉食をすることがありました。これが次第に慣習化し、戒律が緩やかになったとも考えられます。

江戸時代(1603年~1868年)は、僧侶たちの生活スタイルに大きな変化をもたらしました。この時代、多くの寺院は経済的に困難な状況に直面し、一般の人々との関係を深める必要がありました。その結果、僧侶たちは「お坊さんらしい厳格な戒律」を少し緩めて、庶民に親しみやすい存在になる道を選びました。

たとえば、お酒を振る舞う「寺の宴会」や、地域の行事で僧侶が参加して飲食を共にすることが一般的になりました。こうした「地域密着型」の活動が、お酒や肉食に対する抵抗感を薄める一因となったのです。

 

 

 

明治時代に入ると、日本の宗教にさらに大きな転換点が訪れます。1872年、政府は「僧侶が肉を食べても、結婚してもよい」という法令を発布しました。これは「肉食妻帯(にくじきさいたい)」の合法化と呼ばれるものです。

この政策の背景には、政府が仏教の影響力を弱め、神道を国教として強化しようとした意図がありました。そのため、僧侶の戒律を緩めることで、仏教の「神聖なイメージ」を削ぎ落とそうとしたのです。

こうした法改正をきっかけに、多くの僧侶が結婚するようになり、家族を持つことが一般的になりました。結婚した僧侶の子供たちは「寺の後継者」として育てられることもあり、これが現在の「住職=一家の家長」というスタイルの寺院運営に繋がっています。

現代の日本では、多くの宗派で僧侶の飲酒や肉食、結婚が認められています。もちろん、戒律を厳格に守る宗派や僧侶もいますが、大多数は現代社会に合わせた柔軟な解釈を採用しています。

たとえば、浄土真宗や曹洞宗などの宗派では、家族と共に寺を守る住職が珍しくありません。彼らは地域社会に溶け込みながら、法事や葬儀などを通じて人々の信仰を支えています。また、飲酒や肉食についても、必要以上に戒律を強調せず、健康や状況に応じて判断するという考え方が一般的です。

 

共有:

マスコミ対応

SISU News Center, Office of Communications and Public Affairs

Tel : +86 (21) 3537 2378

Email : news@shisu.edu.cn

Address :550 Dalian Road (W), Shanghai 200083, China

関連情報