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魯迅と左連会跡の記念館


14 September 2021 | By 刘今 | SISU

日本でよく知られる中国の文豪といえば、頭の中で魯迅先生の名前を浮かべる人が多いかもしれません。魯迅先生はたくさんの所に行きました。そして、人生最後の十年はここ、上海市虹口区で過ごしました。

虹口区で、魯迅先生が住んだ所は三つあります。一つ目は横浜通りの景雲里で、二つ目は四川北通りのラモスアパートで、三つ目は山陰通りの大陸新村魯迅故居です。

地図を見ればわかる通り、横浜通りと四川北通りをつながっているのは、中国左翼作家連盟(略称:左連)会跡の記念館の所在地ーー多倫通りです。これらの通りは魯迅先生が上海における足跡の一部です。

実は、魯迅先生は文豪だけではなくて、波乱万丈な人生の中で、革命家としても中国で大活躍しました。

それでは、革命家として活躍していた先生を一緒に見に行きましょう。

1927年、数多くのインテリが上海に集まり、「革命文学」の論争をはじめ、マルクス主義の文芸理論を広げました。

1930年、魯迅先生は中国左翼作家連盟の設立に参加しました。これは魯迅先生を旗手とする革命文学団体で、連盟の会跡の記念館は上海市虹口区の多倫通りにあります。

左連の主な雑誌ーー『巴尔底山』『前哨』『十字街頭』の主要編集者を担当したのは魯迅先生でした。ほかに、魯迅先生は左連の作家の皆さんが書いた作品に関する校閲、前書き、推薦、発表などのことにも心血を注ぎました。

中国左翼作家連盟が設立した後、「社連」(社会科学家連盟)と「美連」(美術家連盟)、そして「劇連」(劇作家連盟)などの連盟も次々と立ち上げました。

左翼文化が盛んな勢いで発展していた時、国民党当局に残酷な手段で弾圧されて、雑誌の休刊、さらに左翼の作家が暗殺された過酷な事件も起こりました。それは1931年の五人の作家が犠牲になった「左翼連盟五烈士」という事件です。

紆余曲折を経験した中国左翼作家連盟は、およそ十年の発展で、数多くの素晴らしい作品をあげ、文化作品の積み上げや中国社会の進歩に多大な貢献をなさいました。

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